RT84との歩み
昭和47年6月、フレームナンバーRT84-021750を持つコロナ1700SLは、デュアルマフラーから発する独特の排気音を響かせて、我が家へやってきた。その日はよく晴れていた。私は10歳だった。モンツァオリーブと呼ばれるボディカラーを身にまとったコロナは、初夏の日差しの中で輝いていた。エアコンが装備されていることを示す「冷房車」のステッカーがリアウィンドゥに貼られていた。
以来10年以上にわたって、SUキャブが実力を持て余すファミリーカー的使用で45000kmを走行。2年車検の最後の年に私が譲り受け、学生時代を過ごした愛知県で、共に6年近くを過ごした。昭和58年のことだった。以後、通学や帰省の足として活躍してくれた。
愛知県在住中の昭和60年、腐食が目立ってきたので思いきって全塗装。腐食部修正とフロントフェンダー交換を行った。オリジナルカラーに塗装したが、新車時の塗装に比べると、わずかに明るい色に仕上がった。昭和61年にはキャブレターを交換。
昭和63年には高速走行中、突然パワーダウンして減速してしまう症状がときどき出る。これは次第に頻発するようになった。平成元年、地元に戻ったが、パワーダウンの症状は悪化し、一般道でも起きるようになった。燃料ポンプの分解・清掃などを行ったが、改善せず、とても頭を悩ませた。トヨタ本社に質問状を送り、わざわざ電話をもらったこともあった。結局、燃料タンク内のサビが燃料系統を詰まらせていたことが判明。タンクを交換することで解決した。
平成2年頃から何年か続けて筑波サーキットで行われるクラシックカーフェスティバルに参加した。平成4年、通勤の足としてフュージョンを購入。それまでは通勤にも活躍していたコロナだが、朝の渋滞を抜けるにはバイクの方が便利である。だんだん走行距離は伸びなくなっている。以前は年間1万km走行していたが、最近は1500〜2000kmになっている。しかし、天気のいい休日はなるべく走らせるようにしている。現在オドメーターは13万7000kmを指している。
3〜4年前から、いよいよ部品供給が困難になってきたが、これからも走りつづけたいと思っている。
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